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  • 2020.06.06 Saturday
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ゴキブリ

ゴキブリシーズン到来。
わが家では、昔から親しみをこめて「ゴキチャン」と呼んでいる。
丁寧にも「クロゴキチャン」と「チャゴキチャン」とまで区別している。

昨夜も「お父さ〜ん。ゴキチャンよ〜。チャゴキチャンよ〜。」ということで、すぐさま洗面所へ出動。
石けん入れの下に鎮座中。
そっと左手で石けん入れを持ち上げ、すかさず右手で御用!
成功!

ゴキブリは手づかみが一番いい。
今まで成功率100パーセント。
必殺仕置人。
絶対に逃さない。
捕まえる寸前、手のくぼみに入れてつぶさないことが秘訣。

かって、ある学校の職員室で、女性の先生の叫び声。
「きゃあ〜!」
一大事だと思って、校長室から走ってくる。
「どうしたんですか?」
「ゴキブリ!」
「な〜んだ。」

ぱっと床の上の大きなクロゴキチャンを右手で捕まえる。
「きゃあ〜〜」
前よりももっとすごい悲鳴が響きわたる。

それ以来、女性の先生は私に近づかなくなってしまった。


今日で6月も・・・

今日は30日。
6月の最終日となりました。
同時に今年度も折り返しになりますね。
月日がたつのはずいぶん早いものです。
年を重ねるごとにその思いが強くなっていくようです。

昨日午後からの雨もあがってきたようです。
空は明るいですね。
明日からは7月。
新しい気持ちでがんばっていきましょう。

政局はめまぐるしく動いているようです。
ついこの間までテレビで笑いまくっていたタレントが、いつの間にか首長になったり衆院選挙に出ようとしたりする時代。

私たちの世代やもっと上の世代の人たちが子どもの時、学校や親や祖父母や地域の長老から習い、大事だと思って受け継いできた考え方や生き方はとっくの昔に紙くずになってしまったのだろうか。

パソコンも携帯もテレビも車も冷蔵庫も洗濯機も掃除機も家にない時代に育った世代には、なかなか理解できない世の中になってしまったようです。


 

小中学生に携帯電話をもたせない・・・石川県

石川県議会が昨日、小中学生に防災や防犯以外の目的で携帯電話を持たせないようにする保護者の努力義務を盛り込んだ「県いしかわ子ども総合条例」改正案を可決した。

来年1月からは、保護者が自分の子どもの携帯電話使用に責任をもってほしい、ということである。
例えば、フィルタリングのサービス利用について具体的に説明している。

問題が小中学生に携帯電話を持たせるか否かになってしまった。
子どもの携帯電話使用で当初問題になったのが、ネットいじめや出会い系サイトへのアクセスではなかったのか。
なぜ、こんなことを許しているのか。
高校生や若者など、小中学生でなかったら利用していいのだろうか。
ネットいじめや出会い系サイトなど有害なものをどうして禁止にしないのか。

元々携帯電話は非常に便利で有益なものである。
しかし金もうけのために有害と分かっていながら運営している者がいる。
これを断ち切ることの方が重要なのではないのか。
使用マナーを教えなさい、という意見もあるが、犯罪防止にはほとんど役立たない、とみるべきである。

ネットいじめや出会い系サイトへのアクセスによる小中学生の被害は既に数多く発生している。
子ども達を被害から守るためにはどうしたらいいのか、今回の条例改正だけではなく、さらなる対応策を早急に実行していくべきではないのか。


雨にうたれて

久しぶりに雨が降ってきた。
道を歩いていたら、急に強い雨が降ってきた。
はじめは冷たくて気持ちがよかった。
そのまま歩いていた。

汚れた空気のアカがどんどん落ちていくようだ。
心のアカもみんな流していってほしい。

傷つけたり傷ついたり
泣かせたり泣いたり
怒ったり怒られたり
笑わせたり笑ったり

強がりを言っているが、本当はおまえは弱い人間なのかも。
弱そうなことを言っているが、本当はおまえはとてつもなく強い人間なのかも。
偉そうなことを言っているが、これからおまえに起こることさえ分からない。

雨に問いたい。
どちらが本当のおまえなのか。
そしておまえはどこへ向かっているのか。


 

佐々木七恵さん逝く

佐々木七恵さん逝く。
享年53歳。
元マラソンランナー。
日本の女子マラソンが国際舞台に登場しようとした頃に、懸命にひた走った名ランナーだった。

7人兄弟姉妹の末っ子として岩手県に生まれた。
地元で教師をしていたが、瀬古利彦氏の指導者だった中村清氏の門をたたき、猛練習。
東京国際女子マラソンで日本人ランナーとして初めての優勝。
翌1984年初めてのオリンピック女子マラソンに増田明美さんとともに出場した。
ひたすら根性で走る走法だった。

浄土の世界で、きっと中村清氏と再会し、マラソン談義に花を咲かせることだろう。
合 掌。
 

ジャガイモほり・・・アサイマエ

今朝は4時半起床。
アサイマエの仕事に高坂へ。 
朝食前の仕事を農家の人達はアサイマエと呼ぶ。
昔はアサイマエをしない者はナマクラモンとバカにされた。

山環を走り、10数分で到着。
シミズのおばあちゃんがクワで畑をおこしておいでる。
朝の挨拶。
80歳をとっくに越えている。
立派。

すずし〜い!
さわやかで冷涼な空気。
よし、やるぞ〜。

早速ジャガイモほり。
昨年まではハクビシンとモグラにほとんど提供していた。
今年はさきがけ。
他の皆さんの畑はまだ収穫していない。
ハクビシンとモグラが油断しているスキに掘ってしまおうという作戦。

うまくいった。
今年は豊作。
でっかい男爵いもが結構なっている。
最初は茎をまとめて引っ張って手で掘り、その後をクワで起こして残りを掘っていく。

しばらく乾かす。
イケハタさんの息子さんが畑へやってきたので、話す。

大きなダンボール箱に何回も運ぶ。
物置の片隅に置く。
私はジャガイモが大好きだ。

山環を走り、7時半過ぎに無事元町到着。
今朝のアサイマエの仕事は完了。
お疲れ様でした。




天下り

以前述べた事があるが、2年前の選挙の時に、ある陣営から「コザカは天下りだ〜」という攻撃を受けて驚いた。
最初は何のことか分からなかった。

天下りというのは、高級官僚が退職した後に、外郭団体・関連する民間企業・独立行政法人・国立大学法人・公社や公団などの高い職に迎えられることをいう。

地方公共団体の場合も多少内容は異なっても同じようなことがいえる。

天下りの何が問題なのだろうか。
・利権や権限の温床化
・高額な退職金の重複支払い
・生え抜き職員の労働意欲の低下

まだまだ考えられる。
年間に数日しか出勤しないのに高額な給料を支払っている例がある。
なぜ一度退職金を受け取っているのに、また支払うのだろうか。

私は36年間勤務した教員を退職した時に退職金を受け取ったが、キゴ山少年自然の家の館長を退職した際には1円も受け取っていない。
当然のこと。

毎月の給料は他の非常勤職員と同じように10数万円だった。
勤務は他の職員と同じように朝から夕方までだった。
当然のこと。

夏と冬のボーナスは全くゼロ。
当然のこと。
利権などありようがない。
これでも天下りだろうか。

多くの厳しい批判を受けて国会で議論されたが、政府は天下りに対して、きちんとした姿勢を示さなかった、と多くの国民は今でも考えている。
 

スクールサポート隊講演会・・・山河隆先生

午前中、スクールサポート隊の講演会。
講師は恩師山河隆先生。
会場の森山会館へと急ぐ。

山河隆先生は私の医王山小中学校時代の恩師。
若き青年教師だった。
授業以外の思い出が多い。
ソロバン・習字・マラソン・計算進級テスト・漢字進級テスト・・・山河先生から習った。
もちろん全校の取り組みで多くの先生から指導を受けたが、私には山河先生との思い出がほとんど。

マラソンをやりたい 、教師になりたい、、、、小学生の時に、私に夢を与えてくださった。
寒村の貧しい多くの少年少女に希望と誇りを持たせてくださった。

今日の会では、主催者側の西岡さんや小間井さんのはからいで、私にに来賓としての挨拶とその後、講師紹介までさせていただいた。
有り難い。
嬉しかった。

会場はいっぱいになった。
具体的な体験談で、分かりやすかった。
子どもを大切にしておいでた先生の姿勢や思いがヒシヒシと伝わってきた。

先生は特攻隊員として、昭和20年8月18日に出撃命令を受けていた。
人生とはお互いに不思議な縁で結ばれている。
先生は今80歳。
長生きしていただきたい。



菩提樹

今朝は5時半に兼六園へ向かった。
無料の蓮池門から入る。
散歩の人がかなり多い。
かすみが池にアオサギが朝食の準備中だった。

池のサザエ山側へ行く。
いい香りがあたり一面に漂っている。
何の香りだろう?

誘われて進んでいくと、それは菩提樹の花だった。
かすみが池のほとりに大きな古木になって2本立っている。
今、丁度クリーム色の花が満開だった。

「泉にそいて茂る菩提樹・・・」という歌がありますね。
まさにその通りの光景。
サウンド・オブ・ミュージックの原作は「菩提樹物語」ですね。
トラップ一家の物語です。

菩提樹は神宮寺の蓮寺にもあるし、同じく元町の高桑さん宅のお庭にも育っている。
東山寺院群のお寺の境内でも見たことがある。

お釈迦様がこの菩提樹の下で瞑想して、悟りを開いたそうです。
インドにあるのはインドボダイジュで以前、詳しい写真を見ると、どうやら葉の形が違っている。
わが国にある菩提樹は中国から伝わった別の科の木のようだ。

でも、今ではわが国に広く植えられている中国原産の方が正当な菩提樹として認知されている。
いい香りをあたり一面に漂わせてかすみが池の側に立っています。
菩提樹をまだご覧になったことのない方は、どうぞ一度ご覧くださいね。

 

記念樹・・・プラム

私の孫の一番上の子が今小学校5年生。
もうそろそろ母親の身長に近づいてきた。

彼が私にとっては初孫。
生まれた時、元町の裏に記念樹としてプラムを植えた。

あっという間に大木になったが、なかなか実がならなかった。
今年は春に白い花がたくさん咲いた。
実もなり、先日からの好天で赤くなってきた。

昨日の夕方、一家来訪し夕食会。
食後に裏庭でとってきた真っ赤なプラムを食べた。
まだちょっとすっぱいが、プラム特有の甘さが漂う。
おいしかった。
「タクミが生まれた時の記念樹だよ」と言うと、本人は恥ずかしそうな嬉しそうな表情。

私が子どもの頃はプラムと呼ばないで、スモモと呼んでいた。
実家の庭の片隅にスモモの大木があった。
夏になると父の手作りの高い木のハシゴがいつもかかっていた。

ハシゴによじ登り、スモモをとって、いつも食べていた。
ハシゴの下で見上げている妹や弟に枝ごととって渡した。
とても大粒で水分が多く、甘かった。

夏になるといつもその風景を思い出す。
しかし父も母も逝ってしまった実家には、いつの間にかスモモの木はなくなってしまった。
 

第93回日本陸上競技選手権大会

第93回日本陸上競技選手権大会が今、広島で行われている。

今年は女子の短距離が強い。
今日で21歳になった福島千里選手が絶好調。
100mと200mで快勝。
200mの23.00秒は堂々の日本新。
いつも僅差で高橋萌木子選手が2位。
以前は高橋選手がいつも勝っていた。
国際レースにはあと一歩だ。

夕方近くからNHKで放映。
室伏選手はハンマー投げで15連覇。
ものすごい大記録だ。
15年連続優勝した。
立派。

棒高跳びの沢野選手も優勝。
女子5000m優勝の中村選手は金沢ロードレ−スの招待選手だった。
小林選手や福士選手はまだ調子が出ていないようだ。
世界陸上の代表の座がかかっているので、選手は猛暑の中を必死。

平成14年には第86回大会を金沢で開催した。
もう9年前になる。
係をしていて毎日朝早くから競技場へ通った。
県西部緑地公園陸上競技場のスタンドは、連日満員になった。
室伏選手が投げる時には、いつの間にかスタンドがいっぱいになった。
当時からスポーツ界の大スターだった。

石川からもぜひ全国優勝を争うような選手が現れてほしいものだ。




ゴーヤの棚作り

猛暑到来。
とにかく外は暑い。

午前中は裏の畑で、ゴーヤの棚作り。
ゴーヤ達が伸びて地面を這いずり回って彷徨。

竹の支柱を立て、支え合わせ、ヒモで結んでいく。
汗がタラタラ落ちる。
暑い!暑い!
もうヤケクソ。

ゴーヤは昔はニガウリと呼んでいた。
元々は沖縄など南国の産物。
昔は北国金沢では露地栽培で作れなかった。
暖冬のお陰だろうか。
今では問題なく作ることができる。

苦みがあるが、調理次第ではとておいしい。
夏のスタミナ食品。

棚作りの作業終了。
夏休みに入った頃からゴーヤの収穫ができるだろう。
楽しみだ。

ミニトマトとキュウリと夏ダイコンを収穫して家へ入る。
お疲れ様でした。
 

健康づくり

今朝の森山ジョギングクラブと歩こう会には46人参加。
元気に走ったり歩いたり。

今、国民健康保険の大幅赤字が大きな財政問題になっている。
年々赤字幅が増えてきた。 
ケガをしたり病気になったりしたら病院へいくのは当然のこと。

赤字縮小のために、政府は高齢者だけを別会計にしようとしたが猛烈な反発あり。
さらに保険金を値上げするしか道はないようだ。

どうしたらいいのだろうか。

私は国民的な健康づくり運動に政府や行政がもっと力を入れることが一番効果的だと思う。
毎日、多くの人達が規則的な運動を続けることができるようにしたり、禁煙運動に本格的に取り組んだり、青少年に有害な情報をインターネットに流さないようにしたり、市民スポーツ活動にもっと予算をかけたり・・・・することによって、病気にかかる人を減らすことが有効だと考えている。

大きなお金をかけずに、毎日おいしい空気を吸いながら外で気軽に運動を続けませんか。

いっしょに歩いたり走ったりしませんか

今朝は森山ジョギングクラブと歩こう会です。
いっしょに走ったり歩いたりしませんか。
朝はとても涼しいですよ。

歩こう会は浅野川の橋めぐりです。
ジョギングクラブはいつものコースを走ります。

6時スタートです。
元町第一児童公園へお集まりくださいね。
校下外の方でも、初めての方でもいいですよ。
会費はいりません。
どなたでもどうぞおいでください。

マイケル・ジャクソン急死

マイケル・ジャクソン急死。
享年50歳。

私は音楽のことはよく分からないが、彼が音楽界の人間で、ポップの世界で活躍したスーパ−スターだということは知っている。
テレビでの映像や歌は見たり聴いたりしている。
歌だけではなく、ダンスが得意だったようである。

しかし、私生活でのスキャンダルや奇行がよくニュースで流されていた時期があった。
訴えられて裁判にもなった事件があった。
有名人であるがゆえに、ストレスも非常に大きかったと思う。
さらに度重なる整形手術による病気にも苦しんでいたようだ。
また最近は金銭的な問題で苦しんでいたということも聞いたことがある。

人は泣きながら生まれる。
その後は時には笑い、時にはぶつかり、苦しみながらも人は生きていく。
そして最後はだれでもお迎えがやってくる。
すべての人に必ず死が訪れる。

合 掌。


メタボ

メタボという言葉がポピュラーに使われるようになってきた。

さっき、友人ヨシ〇チ氏の会社の担当者が来宅し、夏の背広の寸法どり。
昨年よりも腰回りが更に増加。
ギョッ!

日本の男性のメタボの境界線は85センチ。
みなさん。
この数字はちょっと低すぎると思いませんか?

私なんか、もうとっくに突破。
困ったものだ。
父親に似ないでよく食べるからだろう。
朝食から大盛りでおかわり。

ただ嬉しいことには、知り合いのドクターに尋ねたら、腰回りだけではメタボとは言わないという。
血清脂質異常・血圧高値・高血糖の内、2つ以上がプラスされるとメタボとのこと。
私は血圧高値には該当するが、 血清脂質異常と高血糖ではないから、1つだけ。
つまり、私はメタボではない、という理屈。
アリガタイ。

でもあきらかにお腹が出てきた。
体重は学生時代はコンスタントに54キロだったのに、今は74キロ。
飲む量と食べる量を減らすことができるだろうか・・・・。
64歳からの挑戦!

真夏日

今日も真夏日のようだ。
外は暑い。
ちょっと身体を動かしただけで汗が出てくる。
まさに猛暑到来。
ただ湿度が低いのか、冷房がなくても日陰や室内は思った程、暑さを感じない。

午前中は役所へ。
幾つかの課を回り、会派控室へ。
その後、奥田建氏の事務所へ。

事務所にはポスターがだんだん増え、いよいよ選挙到来、という感じ。
ニュースにも衆院選の話題が多い。
政権交代という言葉がさらに一段と現実味を帯びてきたようだ。

これからのわが国の行く末を決める衆院選はとても重要だ。
衆院選は本来政策で争うもの。
各政党の政策をしっかりと比べて判断していただきたい。
 

屋号

昨夜はお通夜へ。
亡くなったのは、私の実家のある田島町に住んでいるおばあちゃん。
88歳だから、長寿といえよう。
兄が法衣を着て、お経をあげ、説教をした。

今晩は通夜、明日は葬儀。
49日まで、1週間ごとにお坊様をお招きしてお経をあげていく。
そうすると、めでたく浄土の世界に入ることができるそうである。

今日のおばあちゃんの家の屋号はゲンジロウ。
今は80戸足らずの集落であるが、昔はもっと戸数が多かった。
集落内には同じ名前の姓がとても多い。
例えば、長谷川・徳野・田村・・・等という姓はそれぞれ5・6戸以上はある。
姓だけで呼んでも、どの家のことかサッパリ分からない。
屋号は全ての家についているが、全部違っている。
私も実家のある集落へ行くと、今でも屋号で呼び合う。 


トッケン・オゴヤ・ジンベオッサ・ハチリン・ハチロク・ゴヘイ・・・・等々、なかなかおもしろい屋号もある。
山間地の生活の中では、今でも屋号は確実に生きている。
皆さんの地域にも屋号はありますか?

車のリコール

農作業用のわが家の愛車がリコールのため、今日夕方しばらく日帰り入院することになった。
いままで別に不具合は感じかったが、自動車会社の方から連絡が入った。
確かこの車のリコールは2回目。
 

4時半頃、車を受け取りに社員の方が来宅。
6時半頃にはもう完了とのこと。

車のどの箇所のリコールか聞いていないが、業者を信頼しよう。
近頃の会社は社員教育がなかなか徹底していて感じがいい。
今は何事も競争の時代のようだ。

タチアオイが青空に向かって

会合が終わり、お昼に高坂へ車を走らせる。
10日ぶりかな。
前庭の草がきれいに刈られている。
刈ってくれたのは誰だろうか?

ゴトウさんがやってきた。
会話。
刈ってくれたのはゴトウさんだった。
ありがとうございました。

庭のタチアオイがきれいだ。
私の背丈よりもうんと高くなり、きれいな八重の花を咲かせている。
赤・白・ピンクの3色。

タチアオイは真夏の花。
青空に向かってグングン伸びていく。
おまえはどこまで伸びていくのだろうか。
いいなあ。

私なんか、もう伸びはしないもんね。
横へ伸びているのかな。
心も成長どころか、汚れてきたような気がする。
タチアオイのように、高い青空に向かってグングン伸びていきたいなあ・・・。
 

福祉まつり 

昨夜は、森山福祉まつり の打ち上げ。
会場は善隣館2階大広間。

5月31日に開催した森山福祉まつり は大変好評。
テーマは福祉と安全。
テーマにそった企画。

たくさんの参加者があり、大成功。
高齢者の方はもちろんのこと、小学生や中学生の参加もとても多かった。
梶原金沢市福祉健康局長をはじめ、市の幹部もたくさん来場いただき、お褒めの言葉をいただく。

地元森山もみじ太鼓や 子どもはしごのぼりに大きな拍手。
恒例の桜丘高校の吹奏楽は大人気。
ホコテンが良かった。

何よりも天気が一番の味方。
そして20を越える校下の各種団体が一致結束して協力。
森山町小学校は学校施設を提供し、校長・教頭が先頭になり全面的協力。
立派。

國枝民児協会長の司会。
私は社会福祉協議会長として挨拶。
上田忠信連合町会長挨拶。
竹中小学校長がとても立派な挨拶。
大谷善隣館長乾杯の発声。

あとは懇親の場。
飲み、しゃべり、食べる。

反省会。
いろいろな立場から意見や反省が出た。
次回につながるいい意見が多かった。

大きなイベントは開催が大変。
しかし、一致結束していけば大きな協力関係や信頼関係が生まれる。

伊藤公民館長が閉会挨拶。
お疲れ様でした。
ありがとうございました。

泉野図書館

今日は所用で泉野図書館へ。
人気の図書館。

館長は元中学校長の川上先生。
立派な人物。
かって国体事務局で共に働いたヤナギウラさんとヤマダさんもこの館に。
ヤナギウラさんは元気に仕事に精を出していた。

児童図書室へ。
岸田元校長が元気に働いておいでた。
まじめな人物。

児童図書室の入り口に七夕の飾りがあった。
かなりの手間暇をかけた作品の数々。
おそらく仕事の合間をぬって、職員が手作りでがんばって作ったのだろう。
立派。

入り口に、本物の笹を、どうぞお持ち帰りください、とたくさん用意してあった。
いいことだ。
用意できない方はまだあると思いますよ。

館内は管理がゆき届いて、とてもきれい。
オープンして、もう10年以上たつが市民の来館者が多い。
このような施設はたくさん作ってほしい。
そして、市民の皆さん。
ご利用してくださいね。
 

肝油

みなさん。
肝油(かんゆ)をご存知ですか?
年配の方は口にしたことがあると思います。

昨日昼食時に職場で、肝油がなつかしく思い出話に登場してきた。
昭和40年代、中村町小学校に勤めていた頃、学校で子ども達が毎日給食時に食べていた。
甘いドロップ状のお菓子のような粒だった。

全員にではなく、注文制だったように記憶している。
自分が子どもの時には口にしたことはなかった。

当時はクジラの肝臓から作ったもので、とり目やくる病の予防になる、と聞いていた。
柔らかく甘かったので、子ども達にもそんなに不評ではなかった。

やがて、いつの間にか肝油は学校から消えていった。
あの当時、学校での肝油利用の存続について、どのような議論があったのか記憶にはない。
国民の栄養状態が向上し、おそらくサプリメントからよりも普通の食べ物から必要なビタミンなどを摂取した方がいい、という考え方によるものではないかと思う。

今でも薬局には置かれているようですね。
みなさんは肝油を食べたことがありますか?

朝のウォーキング

昨日で議会終了。
片町で午前様。
よく飲んだ。

今朝はいつもより遅く6時スタート。
眠気覚ましに鳴和の山沿いを歩く。
鳴和の山側は、卯辰山の稜線の一番北側にあたる。
緑がまぶしいほどきれいだ。
空気もさわやかでおいしい。

多くの庭にアジサイの花が咲いている。
濃いブルーやピンクの花は本当に美しい。
昨日までの雨にまだしっとりと濡れている。

毎日日中は暑いが、朝はとても涼しい。

家に帰ってきたら、かって陸上教室にいたツジオカ君から電話あり。
今はワセダの3年生。
なつかしい。
今でもよく覚えている。
彼の可愛かった小学生時代をしばし思い出した。

 

6月金沢市議会閉会

今日は6月定例金沢市議会最終日。
議場へ。
提案されていた議案の採決が次々と続く。
討論も入る。

11日より続いた6月定例議会がすべて終了。
最後に市長より挨拶。

会派控室へ戻って、会派の会。
市長・議長・副議長が挨拶に来室。

お疲れ様でした。
昨夜から降り続いていた雨もようやくあがってきたようです。


 

浅野川角落とし

目を覚まして外を見たら、まだ雨。
5時半頃から雨がやんだ。
去年夏、大きな被害が出た時に問題になった浅野川の角落としを見に行こう、ということになる。

小橋を渡る。
あれ〜。あれはなんだろう?
見慣れない大きな物が橋の横にあるではないか。
みんなで近づいて見ると、小橋の可動堰があがっていた。
巨大な物体は可動堰で、それがあがって、増水した水がその下を一気に流れている。
この可動堰は平成のはじめ頃にできているが、堰があがっているのを見たのは初めてのこと。

川沿いに上流へ向かう。
水はものすごく濁った泥流。
浅野川洪水以降、雨が降ると川の濁り方が以前より早く、しかもひどい。
以前はこんなに泥が流れ込んでいなかった。
原因をつきとめ、対策が必要。

霧のような雨が降ってきた。
浅野川大橋を渡り、東山側ベリへ。

角落としがはめ込まれていた。
ステンレス製の横木が順に組み立てられて、はめ込んであった。
近所の方に尋ねたら、昨夜地元の要望で業者が来て設置していったという。
昨年夏の洪水には、結果的にこの角落としを設置できなかった。

川底もきれいにさらってあり、水の流れが昨年までとは違ってスムーズに流れている。
昨年被害に遭われた方は本当に大変だったと思う。
県も市もその後、一生懸命対応策に取り組んできている。
2度と被害が出ないようにしなければならない。

大きな雨になってきた。
急いで帰る。

 

町会連合会・健康を守る会

昨夜は、森山校下の町会連合会・健康を守る会の初顔合わせ会。
前の会場から秋月へ直行。
町会連合会と健康を守る会の役員の皆さんが集合。
日頃、熱心に会の活動のお世話をしている人達の集まり。

私は町会連合会の副会長で、健康を守る会は昨年まで副会長で今は顧問。
会長はそれぞれ上田忠信氏と横倉氏。

問題はやはり高齢化。
30人ほど集まったが、60代・70代・80代の皆さん。
64歳の私など、まだ若造の方。

高齢者だから悪いというのではない。
若い人達が組織に入ってこないのか、入れないのか。
40代・50代の人達が組織・会に入らない。
仕事が忙しいからなのか。
年配の人が多いので、入りにくいのか。

これは森山だけではなく、多くの校下の問題のようだ。
特にいわゆる街中の校下に多い問題のようだ。
皆さんの校下ではいかがですか?


総務常任委員会

午前中は常任委員会開催。
私は総務常任委員会へ。
第1委員会室。

ズラリと市の執行部が居並ぶ。
執行部からの提案に委員からの質問が長時間続く。

続いて報告事項。
12時近くになって閉会。
7月、8月の開催日について打ち合わせ。

昼食の後は議員総会。
続いて議運の予定。
その後は安全対策特別委員会。

梅雨の雨が、まだ静かに降り続いている。
 

今朝は、いつもよりちょっと遅れて6時に家を出る。
連れ合いがタイコウレンの係をしているので、コウホウ配布ランとなる。

淺野町から小橋町方面へ。
そして、東山寺院群あたりへ。
今アジサイがとても美しい。
最近は花の色合いや形が本当に多くなってきた。
しばし見とれる。

小1時間で玄関に着いたら、突然ざあ〜っと強い雨が降ってきた。
まさに
間一髪。
今から出勤、登校する人たちは大変。
まだまだ梅雨のようだ。

みなさん。
今日は月曜日。
今週も元気にがんばっていきましょう。
 

父の日に父を思う

父の日に父のことを書こうと思っていたが、親不孝な息子でまたどこかで呑んでいて、さっき帰ってきた。
もう22日になってしまっている。

父は明治生まれ。
母より2歳上で同じ村で生まれた。
父には10人以上の兄弟姉妹がいるが、全員は知らない。
数年前、父の妹に初めて会った。
「あんたヨシの子か?」と、じいっと見つめられた。
父の名前は義久である。

兄弟姉妹が多いと、従兄弟も多い。
しかし会ったことのない従兄弟もいる。

母の父親が急逝し、母の兄も急逝した。
今だったら死ぬことはない病気で、昔の無医村の人達は亡くなっていった。
恵まれない僻地の人達の悲しみを和らげ、彼等が不幸を乗り越えられたのは宗教の力ではなかったかと思う。

長男ではない父は結婚相手が決まっていて独立する予定だった。
しかし母方の家庭の事情により、急遽婿入りとなった。
その後、急いで僧籍をとらなければならなかったので、父としては大変だったと思う。

父はとにかく働いた。
朝早くから、夜遅くまで働いていた。
趣味などもつ余裕はなく、ひたすら家族のために働いた。
そして、人のために動き回っていた。

父だけではない。
昔はどの家もみんな貧しく、子どもやお年寄りを含めた家族が一致団結して働いて生きてきた。
私が子どもの時には国民健康保険や年金制度などはいっさいなかった。
教科書が買えなかったり、バス旅行の金が払えずに行けなかったり・・・・そんな事は珍しいことではなかった。

父と遊んだ記憶は一度もない。
夜、囲炉裏の周りで宿題をしていると、父は小さな声で読経のけいこをしていた。

私は7人の兄弟姉妹の5番目。
当時、寒村の子だくさんの家は食べていくだけで精一杯。
貧乏寺の収入なんてたいしたことはない。

そんな中で父は男3人を全員4年生大学まで出してくれた。
5尺のちっちゃな身体でとてもやせていた。
私は父から、朝早くから起きて働けば生きていくことができることを学び、お酒に強い身体ももらった。

数年前、兄が父の遺書を発見した。
父が出征する前に書いた遺書で、髪とともにおさめられていた。
つれ合いやわが子に対する思いが綴られていた。
涙がとまらなかった。

もう父と話すことはできない。
お礼を言うこともできない。
これからさらに働いて、人のために身体を動かしていくことが父に対するせめてもの恩返しだと、父の日に思った。





 

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